先週のメッセージからの一言

2015年12月20日

「断りやすい来客が来た」
ルカの福音書2章1~7節

もし宿屋の主人に主の語りかけに少し耳を傾ける余裕があったなら、
この素晴らしい出来事を体験することができたのに。
彼は『先約』という世の常識に少しも考えることなく道を譲ってしまった。
しかし、この家族にとってはそれはどうでも良かった。
キリストが歓迎されない温かな部屋よりもキリストが大切にされる馬小屋の方が
ヨセフとマリヤにはずっと良かった。
このようにイエスの居場所がない所には私たちの居場所もないのです。
また、イエスの歓迎されない所に自分の居場所を求めてはいけません。


2015年12月13日

「おめでとう、恵まれた方」
ルカの福音書1章26~38節

このような状況の中で、マリヤの自由と独立性は際立っていた。
マリヤは自分の人生に起こるであろう良いことも悪く見える事も含め、
一切を主に委ねたのです。ヨセフや両親と相談することなく、
主の語りかけた言葉を受け入れたのです。
そして、ヨセフに頼ることなく妊婦の期間を過ごし、馬小屋で赤子を産み、
エジプト生活を送りナザレでこどもを育て上げ、夫に先立たれ、
十字架の下で一人で我が子イエスの死を見届けたのです。


2015年12月6日

「恐れないで」
マタイの福音書1章18~25節

天の事柄は人間の目には、しばしばトラブルの種に見える。
そして、天の事柄を地上の法則によって解決しようとする努力は行き詰まる。
そして、その素晴らしい神の恵みをゴミのように捨てようとする。
正しい人であっても、その結論は神の恵みに遥かに届かないのです。
しかし正しい人ヨセフが神の恵みに目を向けた時に、人生の光景はすべてが変わってしまいました。
『決まっているという牢獄』に捕われている人にはこれらの事は分からない。



2015年11月29日

「和解のための祭司」
ローマ人への手紙15章14~16節

和解の捧げ物は神だけのものではない。
その肉は家族と祭司が共に食して、そこには喜びと楽しみがあふれる。
その際にいけにえの血が注がれるのは、
喜び楽しむ祝いの時にはいつも互いの罪の赦しを確認することが必要だからです。